現代アートとは何か/初日

日記と言いつつ、現代アートという抽象的なものを語ることをお許しいただきたい。

 

どんな人にも信じるものがある。

 

例えば、宗教はとてもその分かりやすい物の一つだと思うが、

「人は死んだら生まれ変わる」とか、

某少年革命家の「人生は冒険や」だとか、

よく若者に見られるような(偏見かもしれない)「今が良ければそれでいい」というのも立派な思想の一つである。

 

まず、自分の思考の日記を書く前に僕が根本で信じている思想を説明しないと、なんだかこの日記も心許ない気がする。

この思想の根本には僕が専門的に学んでいる、「美術」が密接に関わり合っている。

 

だから、ここ数日を使って現代に至るまで僕の美術史観をこの日記に記したいと思う。

 

こんな大それたテーマを扱うのだから、所詮、19歳の戯言だと受け取ってもらってもいいし、実際他人と美術に関して十分に議論できるほどの知識もないと思う。

 

僕が今までに読んできた少しばかりの書物と、短い人生の実感から導き出したいくつかの推察だということを理解していただきたい。

 

 

では、本筋に入ろうと思う。

まず現代アートに対して抱かれる一般のイメージは「よくわからない」だろう。

 

僕も、もともとその一人だった。

少しだけ差があるとすれば、美術の歴史自体は学んでいたために内容は知っていたが、やはりよくわからなかった。

 

具体的に何がわからないかと言えば、明らかに美しいとは言えないような、一見ゴミにも見える作品が評価されていることだ。

加えて、あからさまにエロ・グロテスクを前面に押し出した作品もある。

例えばこんなの→犬シリーズ | miki okubo, art-écriture-esthétique

かと思えば、鮮やかすぎる色彩でこちらを圧倒してくるものがあったり。

 

言ってしまえば、無法地帯に思われる。

 

なぜ、これらが評価され美術の最先端として捉えられているのか。

 

これから、美しい絵画をことごとく否定していくように思われるかもしれないが、先に告白しておくと、僕は昔ゴッホやモネに代表される印象派と呼ばれる絵画側や、ルネ・マグリットの描くようなノスタルジックなシュールレアリズムの作品が物凄く好きだった。

だから、決してそれらに対してリスペクトが無いわけではないし、むしろ、それらが本当に好きだからこそ美術の世界へ足を踏み出したのだ。

 

大きなネタバレをすれば、結果的にそれらの絵画も完全に否定されるわけではないから安心して読み進めてほしい。

 

前置きと本筋の導入だけで、日記に使う一日分の労力を使い果たしてしまった。

 

明日は「写真の発明」と「人はなぜ感動を求めるのか」という点に絞って論じたいと思う。