鬼滅の刃を読み終えて①(なぜここまで人気なのか個人的な推察と感想)
朝10時開店の近場の本屋。
鬼滅の刃最終巻を買うために行ってみたら、いつも人が少ない本屋に長蛇の列ができていた。
この漫画が社会現象になっているんだなと実感したし、これに立ち会えて少し嬉しくなった。
さて、まだ読み終わっていない人はここからはネタバレになるので、ぜひ本編を読んでからこの日記を見てほしい。
そもそも僕が鬼滅の刃に興味を持ったのは、この漫画の何がここまでの人気を持たせているのかという疑問からだったのだけれど、その回答はいくつもの理由が重なってのことのように思ったので、まずはその視点で感想を書いておきたい。(そこまで裏設定などに詳しいわけではないので、普通に一通りのストーリーとアニメ、映画を見ての感想です...)
まず一つめは、アニメの成功。
アニメも映画も見たが、輪郭線が強調されたポップな絵柄で浮世絵のような美しい画面が動くのは新しく感じたし、日本人は馴染みやすいと思った。それに主題歌のヒットも影響しただろう。
二つめに、話の展開の速さ。
時間に迫られる現代社会では手頃に楽しめるコンテンツが求められている。鬼滅の刃は読み始めから感じていたけど、ほとんど修行シーンのようなものはカットされて描かれていると感じた。
今まで自分が読んだことのある漫画と違って、伏線の回収が恐ろしく早い。話の盛り上がり所が早いテンポでやってくるので、飽きる間が与えられずに読み進められる。
ストーリーの細かい設定を描き始める前からほとんど考えていたからこそできた構成なのではないかと思った。
三つめは、各キャラクターの個性、そしてそれぞれの過去の描写。
後でまた詳しく書くけれど、鬼滅の刃の全体のテーマとして、人類の困難や問題、特に欲望、善悪に関することを取り上げていると思うのだけど、ほとんどのキャラクターの過去が解説されていてそこに現代社会を生きる人は特に共感を覚えるだろう。
僕は大体この三つがヒットに繋がった理由だと思ったけれど、みんなはどうだろうか。
次は主に内容についてのかなり主観的な考察と感想を書いておきたいと思う。
作者がどこまで考えているかは全くわからないから、ただの僕の内容の推察でしかないので、あまりあてにはしないでほしい。
まず、鬼という存在について
鬼滅の刃というタイトル通り、主人公たちは鬼というものを倒すためにがんばるわけだけど、僕が思うに鬼とは、人の中に存在する悪の心を具現化した存在だと思う。
悪の心とは何か。
例えば、人に対する嫉妬心や、性欲に負けた思考、永遠に生きながらえようとする自己中心的思考などのことだ。
善悪というものの判断は難しいと思うけど、少なくとも鬼滅の刃では、他者を心理的、もしくは身体的に傷つけること、その生命を無視することを容認するような思考を悪としていると思う。
だいたいの鬼は、鬼になった経緯が描かれ、その内容は悪の心が芽生えてしまうような社会問題や人間関係で現代社会でも十分に起こりうるものだと思った。
だから、敵である鬼に読者が共感する仕組みになっているのだけれど、やはりそれぞれの鬼が最終的にはその悪の心を乗り越える様が描かれている。
ここで、どうしても触れておきたいのが、鬼グループのラスボスである鬼舞辻無惨に大勢の人間が協力し倒すことができるのだが、彼は全く救われず、悪の心など全く乗り越えていないことだ。
この事実に関して、もしこれをそのままの意味で受け取れば、鬼滅の刃はただの勧善懲悪ものの単純なストーリーになってしまう。
結局、人の道を踏み外したものや、思考が共有できない人間は切り捨て殺さなければいけなくない。
でも、この考え方は危ういことに気づいてもらえるだろうか。
きっと、この考え方を何の疑いもなく信じるとすれば、自分にとって都合の良い道から逸れているものを全員殺さなければいけなくなる。
この思想は歴史的に人類が犯してきた、人種差別や性差別に繋がりかねないと僕は感じる。
そこだけ僕は、ずっと読み進めていて不安に感じていたのだけれど、鬼滅の刃はちゃんとその疑念を払ってくれる内容になっていた(と僕は思う)。
その根拠は、鬼滅の刃で最大のネタバレが必要になってしまうが、、、
明日に書くことにする。