現代アートとは何か/2日目
美術の歴史を手っ取り早く辿るには、
始めに「写真の発明」を踏まえて考えるのが良いだろう。
写真が発明される前、絵画は現実を記録するための手段として考えられていたために、リアルさが追求されてきた。
もちろん、リアルな絵画の中にもバロック絵画なような(レンブラント、フェルメール等...)、明暗を誇張して、より人を感動させる方法が試行錯誤されていた作品はあるものの、全く何を書いているのかわからなかったり、明らかに現実離れした不自然な描写がされているものはなかった。
しかし、現実を一瞬にしてそのまま記録できる写真が発明された時、絵画の持っていた現実の記録としての側面は、その必要性が失われていく。
そのために、絵画によって生計を立てていた画家たちは否が応でも、絵画の持つ固有の価値について考えざるを得なくなった。
絵画が社会的に生き残るためには、絵画の唯一性を見出さなければならなかったのだ。
これをきっかけに絵画は一気に平面性が加速していく。
最初に明確な絵画の唯一性に関する問いに解を示したのは、アンリ・マティスだろう。
→【作品解説】アンリ・マティス「緑の筋のあるマティス夫人の肖像」 - Artpedia アートペディア/ 近現代美術の百科事典・データベース
彼はフォービズム(野獣派)と呼ばれる、現実の色彩に囚われずに絵を描く方法を示した。
三次元である現実から離れ、二次元的な色彩が持つイメージを捉えたのだ。
初めてこれらの絵を見る人の中には、でたらめに色を置いているようで、良さが全くわからない人がいるかもしれない。
しかしながら、マティスは適当に絵を描いているのではなく、色彩が感覚に訴えかけてくるイメージを捉えながら意図的に色を配置しているのだ。
次に大きく絵画の平面性を発展させたのは、あの有名なピカソである。
彼は三次元的な対象をいろいろな角度から見て一つの絵画にするキュビズムと呼ばれる技法を示した。
さらに平面性は加速する。
ワシリー・カンディンスキーの「コンポジションVII」を見てほしい。
ここまでくると、もはや何を描いているのかわからない。
具体的なイメージを想起させるものは全て排除され、純粋な色、図形の持つ表現性を前面に押し出している。
平面的な絵画の最たるものは、ジャクソン・ポロックである。
→【美術解説】ジャクソン・ポロック「アクションペインティング」 - Artpedia アートペディア/ 近現代美術の百科事典・データベース
彼は絵の具をキャンバスの上に垂らして絵画を創り出した。
いわゆる抽象画を平面性に着目して紹介していったが、ここで注意してほしいのは彼らは決して「色彩の唯一性」とか、「三次元を多視点で捉える」とかの技法の魅力に取り憑かれて描いていたわけではない。
僕たちが夕焼けを美しいと感じるように(感じない人もいるかもしれない)、彼らも自分の描いている絵に純粋に感動し、価値を見出し、バロック絵画のような写実的な絵画よりも強くそれを感じるからこそ描いてきたのだ。
つまり、彼らは昔の絵画よりも明らかに自分の描いている抽象画のほうが強烈に感覚を刺激し、優れていると考えていたということだ。
これを真に理解するには一定の鍛錬が必要だと思われる。
今ここで述べたことは少し読みづらいかもしれないが、「グリーンバーグ批評選集」という美術批評本に書かれているので、さらに詳細に知りたい人は読んでみてほしい。
写真が発明され、絵画の平面性を追求しながら、より感覚を刺激する作品が生まれていった結果どうなったのか。
その結果が、デュシャンの「泉」なのだ。
昨日、「人はなぜ感動を求めるのか」について論じると書いたがこれは明日に回したいと思う。