人間が不老不死になったら

人間がバイオテクノロジーによってもし不老不死になったら、個人としてどう生きていくのか。

 

実際、マウスの実験で生後22ヶ月の個体を、生後6ヶ月の肉体に戻すことに成功したなどの結果がでている。

 

永遠に生きていくということは、死ぬという選択と同等に重大な決断になるように思う。

 

いやそもそも、延命ができるだけで死という選択肢は消えないかもしれないけれど、

その時には、人類全員が自分の生死を選択する時代が来ると思う。

 

今は安楽死が禁じられているが、安楽死しか存在しない時代になるかもしれない。

 

僕が思うに、死にたくないと思うことや、生きたくないと思うことには、どちらもそれ自体に原因が無いように思われる。

人間関係や、過去の出来事、もしくは未来の予測されることに悩みや不安を感じていると生死という生物的に当たり前のことに抗いたくなるのだと思う。

 

だから、もし仮に医療技術は格段に発達して、もはや人が死なない状態が作られたとすれば、その後の社会問題は人間が幸福に生きるにはどうすれば良いかという問いが投げかけられることになるのではないか。

 

 

僕の現状の結論としては、人間は全力で生きて死んでいくべきだと思う。

別に自殺を肯定しているわけでもないのだけど、ただ精一杯生きて自分のできることをやり、それをまた次の世代に繋げていくということ。

これがある意味人間の紡いできた歴史の基本的な決まりであるし、生物全体として、宇宙全体として設定されていることでもあるように感じる。

 

医療技術の発展を止めるつもりもない。

もし、やりたいことがあるのに手足の不自由でできない人などがいて、その人たちの希望を叶えるようになるのなら医療技術はより発展するべきだと思う。

 

最近はだいたいこんなことを考えていた。

鬼滅の刃を読み終えて②

先日の日記に引き続き、鬼滅の刃のネタバレが含まれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主人公である炭治郎は最後の最後で、ラスボスである鬼舞辻無惨に、鬼にされてしまう。

彼の精神の中に鬼舞辻無惨が入り込み、人を傷つけ始めてしまうのだ。

 

しかし、炭治郎は仲間たちの協力、自身の信じるもの、精神力によって、心の中の鬼舞辻無惨を退け、人間に戻る。

 

そこで、物語は完結し、ハッピーエンドで終わる。

 

 

 

この物語の見方を変えると、主人公である炭治郎は単に悪を物理的に倒したというより、自分の内に存在する悪の心に打ち勝ったと言えるのではないだろうか。

 

つまり、鬼のラスボスである鬼舞辻無惨は、全ての人間の内にもともと存在している悪を象徴しているにすぎず、最終的にこれに打ち勝つには自分自身の悪と戦わなければいけないという示唆になっていると僕は感じた。

 

本当に平和を望むなら、まず人を傷つけたいと衝動的に思ってしまう自分に打ち勝つことが不可欠であり、そんな自分を変えることが、世界を変えることになると作者は言いたかったのではないだろうか。

鬼滅の刃を読み終えて①(なぜここまで人気なのか個人的な推察と感想)

朝10時開店の近場の本屋。

 

鬼滅の刃最終巻を買うために行ってみたら、いつも人が少ない本屋に長蛇の列ができていた。

 

この漫画が社会現象になっているんだなと実感したし、これに立ち会えて少し嬉しくなった。

 

さて、まだ読み終わっていない人はここからはネタバレになるので、ぜひ本編を読んでからこの日記を見てほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

そもそも僕が鬼滅の刃に興味を持ったのは、この漫画の何がここまでの人気を持たせているのかという疑問からだったのだけれど、その回答はいくつもの理由が重なってのことのように思ったので、まずはその視点で感想を書いておきたい。(そこまで裏設定などに詳しいわけではないので、普通に一通りのストーリーとアニメ、映画を見ての感想です...)

 

まず一つめは、アニメの成功。

アニメも映画も見たが、輪郭線が強調されたポップな絵柄で浮世絵のような美しい画面が動くのは新しく感じたし、日本人は馴染みやすいと思った。それに主題歌のヒットも影響しただろう。

 

二つめに、話の展開の速さ。

時間に迫られる現代社会では手頃に楽しめるコンテンツが求められている。鬼滅の刃は読み始めから感じていたけど、ほとんど修行シーンのようなものはカットされて描かれていると感じた。

今まで自分が読んだことのある漫画と違って、伏線の回収が恐ろしく早い。話の盛り上がり所が早いテンポでやってくるので、飽きる間が与えられずに読み進められる。

ストーリーの細かい設定を描き始める前からほとんど考えていたからこそできた構成なのではないかと思った。

 

三つめは、各キャラクターの個性、そしてそれぞれの過去の描写。

後でまた詳しく書くけれど、鬼滅の刃の全体のテーマとして、人類の困難や問題、特に欲望、善悪に関することを取り上げていると思うのだけど、ほとんどのキャラクターの過去が解説されていてそこに現代社会を生きる人は特に共感を覚えるだろう。

 

僕は大体この三つがヒットに繋がった理由だと思ったけれど、みんなはどうだろうか。

 

 

次は主に内容についてのかなり主観的な考察と感想を書いておきたいと思う。

 

作者がどこまで考えているかは全くわからないから、ただの僕の内容の推察でしかないので、あまりあてにはしないでほしい。

 

まず、鬼という存在について

 

鬼滅の刃というタイトル通り、主人公たちは鬼というものを倒すためにがんばるわけだけど、僕が思うに鬼とは、人の中に存在する悪の心を具現化した存在だと思う。

悪の心とは何か。

例えば、人に対する嫉妬心や、性欲に負けた思考、永遠に生きながらえようとする自己中心的思考などのことだ。

善悪というものの判断は難しいと思うけど、少なくとも鬼滅の刃では、他者を心理的、もしくは身体的に傷つけること、その生命を無視することを容認するような思考を悪としていると思う。

だいたいの鬼は、鬼になった経緯が描かれ、その内容は悪の心が芽生えてしまうような社会問題や人間関係で現代社会でも十分に起こりうるものだと思った。

だから、敵である鬼に読者が共感する仕組みになっているのだけれど、やはりそれぞれの鬼が最終的にはその悪の心を乗り越える様が描かれている。

 

ここで、どうしても触れておきたいのが、鬼グループのラスボスである鬼舞辻無惨に大勢の人間が協力し倒すことができるのだが、彼は全く救われず、悪の心など全く乗り越えていないことだ。

 

この事実に関して、もしこれをそのままの意味で受け取れば、鬼滅の刃はただの勧善懲悪ものの単純なストーリーになってしまう。

 

結局、人の道を踏み外したものや、思考が共有できない人間は切り捨て殺さなければいけなくない。

でも、この考え方は危ういことに気づいてもらえるだろうか。

きっと、この考え方を何の疑いもなく信じるとすれば、自分にとって都合の良い道から逸れているものを全員殺さなければいけなくなる。

この思想は歴史的に人類が犯してきた、人種差別や性差別に繋がりかねないと僕は感じる。

 

そこだけ僕は、ずっと読み進めていて不安に感じていたのだけれど、鬼滅の刃はちゃんとその疑念を払ってくれる内容になっていた(と僕は思う)。

 

その根拠は、鬼滅の刃で最大のネタバレが必要になってしまうが、、、

 

明日に書くことにする。

カートコバーンへ

最近は本当に命を削って作品を創っているのを感じる。

 

もし寿命が縮んでいたとしても、生きることに活力を感じない時よりずっと幸福だと思う。

 

人は社会から認められなければ生きていけない。

 

自分ができることを、他人から認められずに、人間はどう生きていけば良いのだろう。

 

もし他人が努力していて、たとえその努力している結果が認められるレベルとは程遠くても僕はそれを受け止めたい。

 

人は本来弱い生き物じゃないだろうか。

 

一人の人間ができることなど、限界があるに違いない。

 

ただ、だからこそ、誰もが持っている可能性を最大限に発揮して、それを皆が認め合えるようになったらいいと思う。

 

僕は才能なんて持っていないけど、それと自分のやるべきことをやるということとは関係ないと思う。

 

なぜなら、自分のできることをできる限り真っ当することが人の幸福であると思うし、そのことこそが、自分が与えられたものだと思うから。

 

it’s better to burn out than to fade away.

心理学、デモ音源完成

大学の授業で発達に関する心理学を少しだけ学んでいる。

 

なんだか恥ずかしいくらい自分のことを見透かされているような気持ちになった。

 

愛着に関する授業だったのだけど、その型によって成人時の恋愛に対する捉え方や行動が決まるというものだった。

 

心理学を学ぶのもいいかもしれない。

 

 

5つ目のデモ音源がやっと終わった!!

嬉しい。

怒り、カラマーゾフの兄弟

やはり怒りっていうのはすごいエネルギーだと思う。

創作意欲を沸かせることができる。

 

態度で示したい。自らの正当性を、完膚なきまでに。

正当性などないことはわかっているけど、自分の負っている責任とそれにかけた圧倒的努力で相手に何も言わせたくない。

 

今はしょうもないことをやっていればいい。

 

全然関係ないような、少しはあるような内容で、人生で一度はある人間を躊躇なく本気でぶちのめしたいとよく思う。

もし、これで事件でも起きたらカラマーゾフの兄弟のように疑われてしまうだろう。

 

カラマーゾフの兄弟を最近読み終えた。

とても良かった。ドストエフスキーは僕が生まれる前に、時代も文化も違う場所で僕の今悩んでいることに悩み、苦しんでいたことがとても僕にとっては励みになった。

 

マリリンモンローがインタビューで、本当はグルーシェニカのような役を演じたいと言っていたけど、きっとはまり役だと思った。

 

もともと本を読むのは苦手だった。

高校2年くらいから本格的に読み始めた気がする。

もっと早く読んでいればとも思うこともあるけど、それ以上に重要なことを経験していたと信じたい。

Don't stop me now

今日は一日中寝てしまった。

 

もう何も考えたくない。

 

やるべきことを考えるのはもう飽きた、

そんなこともう今の自分にはわかっている。

 

やるんだ、続けろ、止まってはいけない。

 

フレディ・マーキュリーのようになるんだ。