生活と落下死
訳あって知人の一軒家を借りて作品製作を進めることになった。
そこは、the 日本家屋という感じで、ざらざらした手触り、言わば生活感のようなものをとても感じさせられた。
勘違いかもしれないけれど、最近は共感覚が鍛えられている気がする。
くるり、andymori、amazarashiの初期あたりはこの生活のざらざら感を強く感じさせられる。
何がそうさせているのかはわからないけれど、、、
なんだか死の匂いみたいなものがわかるようになった。
最近、人が死ぬ夢を見た。
テーマパークみたいなアスレチックで僕は遊んでいて、隣で遊具から遊具へ飛んだ女性がその網目をすり抜けて落下した。
大量に血を吐いて死にたくないと叫んでいたけれど、くだらないことで呆気なく死んでしまった。
そういうものの上できっと僕の生活は進んでいるのだと思う。
作品と向き合う時間も増えた。
そこは、とても苦しくて、修羅の世界だった。
そもそも僕らが生きているこの場所自体が、もともとそういう場所で、普通、人はその事実を忘れて生きている。
心の中に、モーツァルトの「怒りの日」を宿しながら、僕はビーチボーイズの「God only knows」を歌う。
あと、お風呂に入ったあとに冬の寒い空気に触れて、身体の芯が雪解けしていく感覚が好き。